Calamari Inc.

カラマリ・インク
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業務内容
・グラフィックデザイン
・エディトリアルデザイン
・ウェブデザイン/構築
・アプリケーション、UI/UXデザイン
・プロダクトデザイン

デザイナー
・尾中 俊介
・田中 慶二

Photo by Shintaro Yamanaka (Qsyum!)

芹沢高志、港千尋『言葉の宇宙船 わたしたちの本のつくり方』

発行日|2016年12月1日
仕様|四六判変型/PUR並製
頁数|192頁
著者|芹沢高志・港千尋
編集・ディレクション|川村庸子
編集|坂田太郎
デザイン|尾中俊介(Calamari Inc.)
写真|齋藤彰英
プロジェクト・コーディネート|関川歩
プロデュース|長谷寛
発売|P3 art and environment
流通|川人寧幸(ツバメ出版流通)
発行|ABI+P3共同出版プロジェクト

ABI+P3
https://www.abip3publishing.org/%E6%9B%B8%E7%B1%8D-%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AE%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%88%B9-1/

「相互侵犯」
松本圭二の『詩篇アマータイム』(2000年)は、ベースとなる中篇の詩に断片化した数十篇の詩や散文を加え、一行の空きもないよう編み直した一連の長篇詩である。見せ消ちの使用、書体サイズや行揃えの変化など、詩人自らが組版作業を行うことで、リニアな読書を困難にする独特な版面をつくりあげ、それまでの詩体験を一変させた。そのアクチュアリティは、若い詩人らの共感を呼び、多大な影響を与えることとなる。
詩人の手による製作ノートには「編集=組版は、単に事後的な仕上げの作業ではなく、作家の領域とポスト・プロダクション的領域との相互侵犯だった。よってここでは書記=編集=組版という等式が成り立つ」とある。つまり詩人は、「書く」→「編む」→「組む」というそれまでの通例だった制作進行にサヨナラを告げ、「書く」↔「編む」↔「組む」といった具合に領域の優劣をなくし、作業工程を行きつ戻りつしながら改変し続ける困難な方法を選択したというわけだ。当然、編集的思考と組版知識をも備えていなければこの選択すら不可能だが、おそらく彼のもう一つの顔であるフィルム・アーキヴィストという職業と、印刷所兼出版社に勤めていたという経験とが、ポスト・プロダクション的領域の獲得に寄与したことは想像に難くない(もちろんそんなに単純な話ではないだろうが)。
小さなチームで本を制作する場合も、著者↔編集↔デザイナー間での「相互侵犯」というプロセスは有効だ。なぜなら「相互侵犯」とは、突出した才能によらず「未知の領域」へと足を踏み入れるための最善手であり、そのための協力体制であるのだから。その物騒な物言いとは裏腹に、「侵犯」するためには、相互の領域に対する理解と信頼、そして好奇心とが不可欠である。そうでなければ、それは一方的な侵害でしかない。(本文「キーワード・エッセイ」より・尾中俊介)

「ブックデザイン」
古本のなかには、たまに侠者にでも喩えてみたくなるようなものがある。赤ペンや鉛筆で余白を埋め尽くすような書き込みは意味深げな彫り物、大小さまざまなキズはワケありの向こう傷、背のヤケ、紙魚の喰った跡などは流浪の証である襤褸。世を渡り歩いてきた俠気あふれる痕跡の数々…、といった具合の拙い連想だ。侠者であろうがなかろうが、本性(本文)こそが本の本質であると本心ではわかってはいるものの、そんな古本に出くわしたりすれば、そいつの渡世の足跡をトレースしてみたくなったりもする。本をめぐるいくつもの物語。
ところで、本の装丁(装幀・装釘・装訂)を依頼された場合、それはジャケット・帯・表紙・見返し・扉のデザインまでを指すことが多い。判型、頁数、背幅、組版設計、製本方法などはすでに版元・編集が決めているのだから、デザイナーはその本の内容と本屋の棚に置かれたときの状況を考慮しつつ不本意ながらも装いだけを定めていくといった具合だ。それはデザインというよりもむしろ、個性を際立たせるためのスタイリングに近い。
一方、ブックデザインあるいは造本設計とは、本の存在そのものを創出する。骨格、筋肉、内蔵、血液、神経系統などを整理して身体そのものを立ち上げる。本書においては、本文と頁割りが著者・編集者・デザイナー間の本気のやりとりによってリアルタイムに生成されていくため、デザイナーは本の仕様変更と見積り換算を幾度となく繰り返した。
こうして形式を与えられた本書も、おそらく千年後には一冊も残っていないだろう。ただ、この本の本性がその形式との分かち難い関係性を維持するあいだは渡世を続け、さまざまな痕跡を刻む侠者となってくれているはずで、そのとき、ようやっとこの本のデザインは本懐を遂げる。(本文「キーワード・エッセイ」より・尾中俊介)